スタイルズ荘の怪事件は初めてミステリーを書く私にとって良い先生でした。

 またまたオダを上げる時間です。

どうして「スタイルズ荘の怪事件」にあんなヒドイ突っこみどころができてしまったのか?自分でミステリーなるものを書いてみて分かりました。てか、想像はしてましたけど。

ヒラメいたアイデアに恋しちゃうからなんです。恋は盲目。そのアイデアが完全無欠にしか見えなくなってしまうのです、ハイ。

 もう有頂天。これだ!ここでこうしてこうすればカンペキ!

 こうしてこうすりゃこうなることと知りつつこうしてこうなった

なんて都都逸じゃあないですけど、誰だってこれには脱帽するであろう。他の追随を許さぬストーリー展開になってしまうぞ。ドウスル!これはごくたまに降りてきてくれる文殊菩薩様のご啓示だ!……等々。

 だけど、やがて気づくんです。この登場人物って、三章目であのことを知った設定にしたんだから、こんなことをするワケないだろぉー!って。ハイ、叫びます。胸の中で。しかも、その登場人物に”こんなこと”をしてもらわなきゃ物語が成立しなくなっている!。

!マークばかりでスイマセンが、その時の実際の作者の心中はマジ修羅場です。そこからはおのれを呪う時間が延々と続きます。でも、やがてそれに疲れる。そしてムックリ起き上がる。これくらいでヘコタレてたまるか!ってな具合です。いえ、具合でした。僕の場合は。

おそらく、ミステリーを書いたことがある人、書こうとしている人ならお分かりいただけることと思います。なんたってミステリーって、辻褄合わせしなきゃなりませんもんね。

ヒラめいては挫折し、また考えるの繰り返し。

話を戻すとワタクシ、「スタイルズ荘」におけるアガサは、それに気づかなかったんじゃないか?とニラんでるワケなのです。気づいてりゃ、突っこみどころを直していたはずでしょ?

「スタイルズ荘」を読んで以来、ずっとそれが胸につかえてたんですよね。だけどつかえてたおかげで、僕は「ドミノへ」を書く上でおかしな点に気づけたと思ってる。破綻した箇所をその都度書き直しました。ホントに何度もあって、大幅に設定を変えたりもして。

根性で、と言いたいけど、コケの一念に近いでしょう。だから「ドミノへ」は、ホントはアガサに一番読んでほしい。

どーよアガサ、突っこみどころを探してみなよ。
(猫山)