突っ込みどころを無くすため辻褄を合わせるか、おもしろさを優先するか。

 そんなワケで「スタイルズ荘」は、僕にとっての記念碑的存在と言ってもいいかと思います。おかげで突っこみどころには敏感になって、アガサのほかの作品でもけっこう見つけてしまいました。

 念のために申し上げておきますけど、決してアラ探しをしているのではないですよ。普通に読んでて”ウーン、ちょっとねえ……”といった具合に目についてしまうのです。なんと言いますか”ちょっとムリがあるよなあ”、”ムリすぎない?”的な……

作品を読んでいて、同じように感じる読者は案外多いのではないかと思います。おっしゃらないだけで。

 むしろ「アガサ突っこみどころ集」なるものをまとめてもおもしろいのでは…?なんて思っちゃうくらいなのです。こういうツイートではネタバレになってしまいますので書けませんからね。

 でもホント、アガサの作品の”付きもの”と表現したくなるくらいあるんですよね。

 ただ、この頃思うんです。
ホントにアガサ、気づいてなかったのかな?って。
本人に問い糾してみても、ニヤニヤしてるだけで何もこたえてくれません。アガサクラスになると、そういった沈黙はマジ、チョー雄弁になるものでして、アガサに有利に作用してくるのです。

すなわち、
”モチ、すべて承知の上でのことよ。フッフッフ”


となるのですからオソロシイ。

あの文庫本のカバーの裏の写真の顔ですよ。お分かりでしょう。

こうなるともう勝利アリ。悔しいけども格の違いってやつを思い知らされることになるのです。否応なく僕は、アガサが有利になる裏付け推理へと追い立てられてしまいます。

 ここらへん「エッジウェア卿の死」のあのヒロインが鏡の中の自分に見惚れながら――
でしたよね?読んでからだいぶ経つのでそこのあたりの文章はアヤフヤ。ただここはあの作品の中でも一番好きな場面なんです。

ヘイスティングスの胸の中の呟き、
”ただひたすら自分に見惚れながら”だったか、”自分の関心ごとに心を奪われながら、疲れ果てたポワロを次の捜査へと追い立てる彼女の姿云々”……。

というシーン。ほんとに美しい女優の姿がありありと目に浮かんでくる場面でしたよね。このヒロインの描写は見事というほかないです。

とにかく、アガサが僕にかけてきた圧を、このシーンと重ねてもらえたらチョーウレシイ!です。

追い立てられた僕はこう想像せざるをえなくなってしまうわけです。

おもしろさを優先したアガサにとって、突っこみどころなんて屁でもない。それがなんだ!ってなとこなのかもしれない……と。

その証拠に、突っこみどころにまったく気づかず、或るいは気にもせず、”おもしろかった”と心から喜んでる読者がたくさんいるし、前にも書きましたが、僕自身その読み方が一番正しいと思うし。

”ここおかしいじゃん、アガサ”とか言ったって、おもしろさは全々揺るがないんだからこれはもうしょうがないよね。

でも、分かっちゃいるけど言わずにいられない。

オレたち全員、絶対アガサにケムに巻かれてる!