長ければ長いほどいい。そう、「ドミノへ」みたいにね。

 ある日、丼丼が”アガサ・クリスティの長編と短編どっちが好きですか?”なんて聞いてきたのです。

 このところ、”アガサのツッコミドコロ”なるものを書き散らしてましたからね…。

いくらアガサと僕との仲とはいえ、そんなことばかりをほじくっていると、世界中に億単位で存在するアガサのファンから刺客を送り込まれたりしたらエライコッチャ、と心配性の丼丼は気を揉んでいるようなのです。

そこでこんな問いかけをすることで、こちらの注意をツッコミドコロから逸らそうというハラらしいのですね。

 うちの有能にしてヒトタラシの書生くんはいつもなにくれとなく気を配って、かいがいしくフォローをしてくれます。おかげで気分はアガるのですが、どうも何もかも見通されているみたいでオモシロクナイ気がしなくもない。ビミョーってやつです。歳頃でしょうか?歳のせい?と言うと違うイミになってしまうし…

ともかく、売られた問いかけは買わずにおれない性分のじれったさ、とでも申しますか、返事をせずにはおれなくなってしまうもどかしさったら!

 もちろん、長編です!誰がなんと言おうと長編。

 ミステリーとは、じっくり読むものなのです。少なくとも一時間もかからずに読み終わってしまってはいけないのです。

途中、こいつが犯人かもしれない。

ここ、なんか伏線ぽい。

などと想像を巡らせ、コーヒーなんぞ飲みつつ読みふけるのが王道。これがあってこそラストのドンデン返しでしてやられた時の快感が倍増するってもんなのです。従って、長ければ長いほどいい。

ただ、ロシア文学みたいにイタズラに長くても困りますけどね。「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」なんかが引き合いに出されるのって、大抵の場合途中で読むのをやめてしまった”投げ出し自慢”のときが多いみたいですから。

 まあ「源氏物語」にも”須磨がえり”などということばがあるくらいなので、途中でやめてしまうのも読み方の一様式かもしれませんよね。そう思いたいです。

 そうですねー、原稿用紙でいえば五百枚から八百枚くらい。多くて一千枚ぐらいの長さが理想的かなあ。読みごたえもあるし…。

アレ?もしかして「ドミノへ」って、ちょうどこの中に収まってる?

エー!?なんてすごい偶然!まさに”生きてて良かったあ”クラスの偶然だと思いませんか。