ネコ型人間と心配性人間

で、なに気にまたも紅茶の夜となり、もしかして不眠症の原因はコレかな…?などという疑惑が心を横切ったりもするのですが、ナニブン意志の弱いことでは人後に落ちない私のこと、好きなものはやめられない。

この意志の弱さ、極めて人間的であります。丼丼にはもっと自己管理をきちんとするようにキビシク注意されるのですが、まるで気にはなりませんです。

エ?丼丼?

ハイ。最近はけっこう、あーだこーだとそれとなく、あるいはムキつけに言ってくるようになりました。あーいう心配性の人間というのは、こういったライフスタイルを見ていられなくなるようです。

ですが、私のようなネコ型人間は自分なりのルールをちゃんと持っておりまして、それに従って生きているだけなのですよ。
そりゃ、多少世間の標準とは違っているのかもしれませんが、それがネコ人間としての生きザマとでも申しますか、マ、そんな上等なもんじゃないんですけど…、そういったモンなんです。

しかし、それがどうやらグータラしてるように映ってしまうらしいのですよ、困ったもんです。

しかししかし何を隠そう、こんなネコ人間人生をヨリ濃く謳歌できるか否かは―ハイ、たぶん私ほかのネコ型人間よりも謳歌してると思いますが―意外やイガイ、こういった心配性人間が身近にいるからなのであります。言ってみればノラ猫と飼い猫の違いみたいなもんで、その差はどんだけお気楽でいられるか?ってことに尽きるワケです。

ノラ猫は自由だ!なんてのは大きな大間違い!人間の勝手な想像にすぎません。野生の暮らしはキビシイし、飼い猫になったからってネコとしての自由さが損なわれるわけではないのです。

エニウェイ、丼丼がアレやコレやと気をまわして心配してくれるからこそのネコ人生!

自分では思いもかけないような細かいことまで気にかけてくれてしまうのですから、自分で心配する必要などなくなってしまうのであります。これぞヘソ天。心配丸投げ、ワッハッハ。

その上丼丼、口ではアレコレ言いながらもその気配りを”書生のツトメ”なんぞと言ってガンバっちゃうんですからたまりません。こっちは益々ヘソ天。心おきなくエビ反りヘソ天、これでもかってなもんです。

え?こんなことを書いてしまうと丼丼にバレて、見限られてしまうんじゃないかって?

それが大丈夫なのがスゴイところ。

よくできたもので、心配性人間という種属は、相手が心配を丸投げしてるとわかったって見捨てられない。むしろ、それだからこそ自分がガンバンニャーいかんとばかりにハリキッてしまうのです。それこそ、心配性人間の心配性たる由縁。

そのフトコロの深さたるやハンパない。

丼丼に至ってはブラックホール並みです。そこまでいかなくても、フツーに心配性であれば太陽系がすっぽり入るくらいには深い。

なんたって、誰かの心配をせずには呼吸もままならない。心配のタネを探して生きているといっても過言ではない。誰かの心配ができなくなったら、当人が心肺停止になっちゃう。

ふふ、今のシャレ、分かった?レベチすぎた?繰り返さなくていい?

じゃ、そういうわけで、ネコ型人間に心配性人間が不可欠なのがお分かりいただけたことと思います。まだ心配性人間を捕獲できていない皆さん、是非とも確保することをお勧めします。

その際の狙い目は、本当にネコを二匹飼っている人間。二匹目を飼う理由の多くは、一匹だけじゃかわいそうだから、とか、オトモダチがいれば一匹目が淋しくないだろうから、なんてあたりでしょう。

なんと優しい飼い主さんなんだァ!と以前は無邪気にも思いこんでいたものです。ハイ、アガサと知りあうまでは。

そうです。やはりアガサは登場してくるのです。アガサの作品を読んで分かったこと、というのかアガサに教えられたことは

”人間そのものがミステリー”

人の心って、ホントに分からない。見たまんまを信じちゃいけない。

人間には必ずウラがある。あるいは奥深い。単純じゃない。だからおもしろい。陰影があるからこそ魅力的。でもウラがあるからって、悪とは限らない。

そうですよね。自分の気持ちを考えてみればよく分かる。

嘘をついたり、ことばと裏腹なことを考えたりすることなんか日常的なこと。ごくごく普通な当り前。

で、そういう目で視てみると、周囲のことも自分のことも違った意味あいや色彩を帯びてくる。これは仲々愉しい発見です。

だから、そんな目線では心優しい飼い主の”心優しい”もただそれだけじゃないのではないかと思えてくる。

そう、実はそれこそ心配性ってことなんです。そもそも、ネコくらい気がかりになる存在ってないんです。世の中に。なんか世話をやきたくなる。心配性には運命のパートナーみたいなもんです。

つまり、”ネコ好きイコール心配性”なる構図が成立してるのです。割れナベに閉じブタ。心配性にウザ猫。尊いのです。

そしてこの”ウザ猫”をウザネコ人間に置きかえたって違和感はない。イケます。

ではどうして二匹飼っている人間が狙い目なのかというと、一匹しか飼ってない人間より心配性としてのキャパが大きい、つまり、一匹だけでは
キャパを埋めきれてないということだからです。更に、そのタイプの人間は潜在的に三匹目を飼うキャパ的余裕を持っています。

謂わく、二匹飼うのも三匹飼うのも一緒!ってやつです。すごいんです。

この三匹目を目指すことこそあなたの使命。ネコとネコ型人間の違いは体の大きさぐらいしかないのだということを忘れず、ガンバルのです。

但し、多頭飼いをしている人間には注意が必用です。ケタはずれにキャパがデカいってこともありますが、タマに心配性としての自分のキャパを見失っている場合もありますから。

ヘタをするとこっちが相手の心配をしなきゃならなくなっちゃうというオソロシイ事態に陥ってしまいます。

あくまで、二匹飼いの心配性狙いでいってくださいね。