ペギー葉山さん、井上陽水さんのドミノに想う。(上)

なんと、井上陽水さんも「ドミノ」がお好きなのだそうです!

ネットで偶然にそんなブログを見つけた時は、いやもうびっくりしましたねー。

というのも、それまで「ドミノ」という歌を好きだと言った人はおろか、この曲名を知っていた人さえ私の周囲ではたった一人しかいませんでしたから。その一人というのは私の母親でして、ある日ラジオから流れてきたペギー葉山さんのこの歌を、母は「久しぶりに聴いた」と懐かしがっていたのです。

どうやら1950年代の歌だったようで、私の友人たちが知らないのも道理というわけです。
もちろん私も、その時が聴いたの初めて。というよりも、実はその時ただ一度しか聴いてないのです。

でもただ一度聴いただけのその歌が、何故か記憶に焼きついてしまったのですよ。

あの「ドミノ・ドミノ」とせつなげに呼びかける歌い出しが何故か頭から離れなくなりました。

陽水さんも言っておられましたが、その当時でさえずいぶん古風な歌詞だなと思ったもんです。

「神の与えし天使」とか「とこしえに」とか。その古風な言いまわしで、気まぐれでつれなくて、おそらく美しいドミノという恋人に永遠に愛することを切々と訴えるのです。ちょっとばかりMっぽいかもしれません。ハイ。

ま、それはいいとして、その心情の吐露が「ド・ミ・ノ」という音の響きとマッチして、早熟ぎみな小学生だった猫山少年の胸に刻みこまれてしまった、というワケなのです。それこそ「とこしえに」。

だもん自分のミステリー小説を書くとなれば、謎めいてて不誠実で、嘲笑的で、それなのにというか、それだからこそ抵抗することさえできずに惹かれてしまう美しいヒロインとなりゃ、名前は「ドミノ」以外に有り得ませんよ!

これこそ「お約束」ってもんでしょ?!

というわけで誕生した「ドミノへ」ですから、ここはどうしても陽水さんに読んでいただきたく、献本させていただきました。

真犯人分かるかな?

私の「ドミノ」もペギーさんの「ドミノ」のように気にいってもらえるといいのですが――。

ところが、お送りしたあとになって私が検索したものはブログではなく、2001年に出たインタビュー記事の一部だったことが分かりました。私、実は器械オンチでして、そういったものが載っているのはすべてブログだと思いこむ傾向にあります。

心配性の書生の丼丼が、どうもおかしいと思ったらしく、調べ直して分かったことで、大変失礼いたしました。

しかし、その記事の全文を読んでみると、これがまたもやびっくり!

陽水さんが「ドミノ」をカバーしていたのです!おかげでワタクシ、生涯二度目となる「ドミノ」を聴くことができました。

いやあ、本当に美しい曲です。新めてそう思いました。透明感ある陽水さんの声で聴くと、また素晴らしい。

新しい発見もありました。「ドミノ・ドミノ」という歌い出しがサビみたいな曲調のせいだと思いますが、その部分はハッキリ覚えていたのですけど、「わが思い知りながら 何故に 何故に」から先は見事に自分なりの作詞で覚えこんでいました。この度キチンとオリジナルで覚え直すことができた次第であります。ヨカッタ!

発見はもうひとつ。

陽水さんも、ペギーさんの「ドミノ」をたった一度しか聴いたことがないそうなんです。

なんでも「徹子の部屋」にペギーさんが出演なさっていたのを偶然にご覧になったそうで、その折ペギーさんが「ドミノ」を歌ったのを聴かれたのだとのことでした。

陽水さん、その一度だけでトリコになったというんですよ!

そうなんです!テレビとラジオが違うだけで、まったく私とおんなじだったんです!
スゴくないですか?、これ!

ここまでくればドミノつながりと云ってもいいのでは…?
てか、ヤッパ「ドミノ」って魔性なんですねえ。そうとしか思えない。

とにかく、その記述を目にした時、自分としてはメチャ嬉しく、一気に陽水さんを身近に感じたもんです。

同じマンションに住んでたんだ?みたいな。

機会がありましたら皆さん「ドミノ」を聴いてみてください。私が大袈裟な人間じゃないってことが、きっとお分かりいただけると思います。