先日、ミステリー好きのアラフォー野郎さんが、アガサの作品の中でも「マギンティ夫人は死んだ」がスゴいとツイートしておられました。同感です。感激いたしました。
私もこの作品はポアロものの中でも推しのひとつなのですが、以前からどうもイマイチ話題になってないんじゃないかな…?
ちょっとみんなの感心薄くね?
なんぞと気を揉んでもいたのですよ、実は。
で、アラフォー野郎さんのコメントが正に、我が意を得たり!的に響いてしまったのです。
そりゃあ、「オリエント急行殺人事件」とか「ナイルに死す」なんかのハデさはない。だけど間違いなく、かなり練りこまれた作品といえるのではないでしょうか?
アガサの作品はどれもひとスジ縄ではいかないもの揃いではありますけど、その中でも、ひと際練りこんでるなあ…と思わせてくれます。
それに私、どちらかというと登場人物が多い作品の方が好きでして、アラフォー野郎さんもご指摘のとおりこの作品は多彩な人々がふんだんに出てくる。その視点からもオススメなんですよねー!!
この人アヤシイ。
こいつ、落とし穴っぽい。
こういう人物を犯人候補からはずすと最後で泣きを見るんだよなあ…
などと迷いまくるのも、ミステリーを読む上での醍醐味のひとつですから。
私は、この人あのシーンでなんて言ってたっけ?なんぞと何回も前のページを繰りなおして読み返したりします。
そういうところも、紙の本ていいなと思える点なんですけど。
また本棚や床に積み上げてある本の背表紙なんかを眺めて、あの本はこうだった、こっちのはああだったなんて思いだしたりするのもわりと好きです。
ま、それはさておき「マギンティ夫人」ですが、どうして練りに練ったと感じてしまうのか?そのポイントは
人が写真を大切にする理由
なるものをポワロが解説しているからなのじゃないか、と考えるのですよ。この解説部分こそ「マギンティ夫人…」の核なんじゃないか?って気がします。ハイ。
あの部分を読んだ時、
ホントに、まったく、そのとおりだ!
と、それまでボンヤリと分かったつもりでいたことを、もう、これでもかってくらいハッキリと、細部にいたるまで完璧にことばにしてもらえた気がしたものです。
僭越ながらかの名著「ドミノへ」を持ちだすまでもなく、写真がキーになる話はジャンルを問わず枚挙にいとまがない。
しかし、あんな風に解説してある作品て、ほかには知らないのです。
アガサとの例の夢のお茶会の折には、この解説部分があったからこそ「マギンティ夫人は死んだ」が創られたのだろう?と幾度となく迫っています。
アガサの返事はいつもながら
「ウッフッフ」ですけどね。