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私とクリスティ - 猫山月彦のミニエッセイ

ミステリーとオカル…

自分でも意外なのですが、アガサの短編集の中でイチ推しは”謎のクィン氏”なのです。

オカルトってあんまり好きじゃないし、ミステリーとは相容れないジャンルのものだと思ってました。ミステリーはどんな摩訶不思議なことでも、解決時にはキチンとした説明がなされなきゃいけない。
これ、鉄パンでしょ?ところが、オカルトってそこらへんがアイマイ。理詰めでは成り立たない。説明できないのがウリ。だってチョージョーゲンショーなんだから!

アガサの短編の中にも、なんとなくそんなのがあったようななかったような……。
だらか、モロ摩訶不思議な主人公ってのを前面に打ち出した作品なんぞ、いくらアガサの作品とはいえとても読む気にはならなかったのです。
でもいくら多作なアガサ作品でも、やがて読むものがなくなってくる。

でまあ、仕方ない読んでみるか、みたいなカンジで手にとったワケです。

するとどうでしょ? メチャクチャおもしろいじゃありませんか。もっと早く読んどきゃ良かったぁ、とまたもや心の地団駄踏んじゃいました。

先ず、主人公コンビであるクィン氏とサタスウェイト氏のキャラ設定がいい。

クィン氏はどう見たってアヤカシ。当然、どことなくミステリーとしては違和感を拭いきれない。にもかかわらず、いつしか”クィン氏はそういうモン”的に受け入れてしまう。
これはもうひとえに、相棒サタスウェイト氏のおかげなんでしょうね。クィン氏には具体的なことはほぼ何もさせずに、サタスウェイトのオッサン一人を動きまわらせる。

このオッサンのキャラを創るにあたっては、アガサかなり腕をふるってると思いませんか?

ポワロのキャラ設定より凝ってんじゃないかと思うんですけど……。

正直、アガサの全作品中、ここまで趣向を凝らしたキャラは他にいないんじゃないでしょうか?

アリアドニ・オリヴァ夫人も、アガサ自身の分身としてかなり肩入れしてはいますけれども、それでもここまでコマゴマと念を入れてはいないと思うんですよね。
果ては長編にまで登場させているし……。

どうもアヤシイ……

ヨシ、今度アガサに会ったら訊いてみるとしましょう。なんて言うか?次の機会にご報告します。

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二重の手掛かりでの…

 そしてそして、マープルさんが”火曜ナイトクラブ”なら、ポワロ氏の短編集は”ヘラクレスの冒険”ですね。神話に倣って十二のエピソードから成るわけだけど、サイコーにいいのは三話目”アルカディアの鹿”美しい恋物語に仕上げてくれてます。

グッジョブ、アガサ!

 テレビドラマでもこの三話目を中心に据えて創ってましたよね。いいと思うものはみんな同じなんですね。ドラマの導入部としても最適な原作ですし。

 しかしです。目をつぶるわけにいかないのがヴェラ・ロサコフ伯爵夫人。彼女はあんな気取りのキツい、イヤミな女ではない!

 伯爵婦人なんぞと名乗ってますがホントかどうか、アヤシイもんです。元々は”二重の手掛かり”という短編に初めて登場
してきたのですが――

そうそう、この短編もよく覚えてます。それもひとえに彼女のキャラゆえ。

話自体はまったくつまらない。とにかくこのヴェラさんの存在感たるや圧倒的。魅力というより迫力でドーンと迫ってくるスゴい女。腰の据わった豪傑なんです。

キャラだけじゃなくて、ボディのほうも大柄で態度もデカい。悪人の部類に入るのに悪びれないで堂々としてる。
いわゆる姐御肌。誰もがファンになってしまうキャラなのです。
ポワロなんてイチコロでした。そもそもポワロにはベルギー警察に勤務していた頃にヴィルジニーとかいう名前の片想いの女性がいたはずなんですよ。親友と結婚したために、ポワロにとっての”永遠の女性”となった設定なのです。

イメージとしてはだいぶロサコフさんとは異なる女性のはずなのですが――。

 そのヴィルジニーさんを差しおいて、タイプだって違うにもかかわらず、ポワロはヴェラにメロメロ。ヴェラの言うことなら、どんなことでもホイホイときく。どんな理不尽なことも喜々として従ってしまうのです。いいようにコキ使われてます。

 アガサは明確に書いてませんが、僕はこの”二重の手掛かり”で登場した時にポワロがひと目ボレしちゃったんだとニラんでます。もっと言えば、アガサもかなり気にいったキャラてことです。時々アガサ本人にそう言って水を向けてみるんですけど、例によってアガサはニヤニヤしてるだけ。でも肯定のニヤニヤか否定のそれかは、
もう長いつきあいなので分かります。

間違いなく、イエス。

 でなきゃ”ヘラクレスの冒険”の最終章”ケロベロスの門”でしたっけ?でわざわざヴェラをヒロインにしたりしませんよ。

 この章では”地獄”というナイトクラブのオーナーとしての登場でしたけど、澁澤龍彦の本を先日読みかえしていたら、当時パリに”地獄”という名の有名なクラブが本当にあったということでした。

余計なウンチク、すいません。

 ともかく、ヴェラ・ロサコフとして出すんなら堂々たる体格のデーンと構えた女性でなきゃいけませんぞ。蚊の鳴くような声をしたはかなげな女なんてお呼びじゃない。台風の中であっても微動だにせず、強烈な光を投げ続ける灯台のような女性でないとヴェラじゃない!

 実際”アルカディアの鹿”の中で、ポワロが称賛するもののひとつが肉体美だと書いてあります。この章に登場してきた若者を見た時の記述ですが、ポワロが気にいったということはアガサが気にいったということ。ヴェラもきっとグラマラスなはずです。

 そうだ!それこそジェシカのランズベリー。マープルさんじゃなくてこっちだったらいんじゃね?…ギリ。

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次から次へと畳みか…

 ミステリーを読むなら長編!とはいってもアガサの短編がキライってことじゃないんですよ。
”茶の葉”という作品なんかとてもおもしろかったです。あのトリックにはびっくりしました。記憶にしっかり焼きついてしまってます。

 もうひとつ、例によってタイトルをちゃんと思いだせないんですが。”銀の雨”だったように思います。あれも現実にはありえないだろうけど、きれいだなって思いました。

 だけどやはり、こういう単発的な作品よりも、ポワロやミス・マープルがでてくるシリーズ化されたもののほうが好きです。

 マープルものなら”火曜ナイトクラブ”
同じメンバーが火曜の夜ごとに集まって、自分だけが結末を知っている事件を披露してゆき、犯人を当てさせるという趣好が断然ふるってる。もちろん、正しく言い当てるのは毎回ミス・マープルだけなのですが、そうそうたる参加者たちを尻目に次から次へと当ててゆくマープルさんの小気味よさ!

 この次から次というのが大事。パンパンパン!と畳みかけてくる快感!分かちゃいるけどハマっちゃう!モウ短編集だからこその味わいですよね。

 読んだ時、肘かけイスに埋まってしまいそうなほど小柄で華奢な、シワだらけの貧相な顔に丸いメガネをかけたおバアちゃんを連想しました。

 このジミで目立たない老婦人というのがワザとらしいなあと思いつつも、効いてるんですよね。ズバリ真相を言い当てても態度が変わることなく、穏やかに微笑むだけ。ドヤ顔なんてしません。一度でいいから白鳥さんみたいに”ホー、ホッホッホッホ”とか、高笑いを響かせるとこ見てみたい気がするんだけど。

 テレビドラマ化された時にアガサが絶賛したというジョーン・ヒクソン版のマープルは、言わせてもらえば上品すぎ。カクシャクとしすぎてる。もっとちっさくて、背筋だけはピンとしてるけど目立たないおバアちゃんがいい。

 テレビドラマではほかにも二人の俳優がマープルをやっていてそれぞれに魅力的ですけど、映画化されたアンジェラ・ランズベリーのミス・マープルはわるいけどいただけない。なんといっても彼女はデカすぎでしょ!

 小柄っていうのが譲れないポイントなんだから、あれじゃもうマープルじゃない。ジェシカの横すべりじゃないか!

 そりゃあランズベリーさん、魅力はありますよ。けど、マープルではない。あくまでジェシカ。

 今を去ることン十年前の昭和の御世に”ペイトンプレイス物語”なるドラマがありまして、地方のとある町が舞台の群像劇でして、当時としてはドロドロのドラマでそれにランズベリーさん出てたんです。これ、アーカイブで調べたんですからね、念のため―
そこでなんと女子高生役のミア・ファーローの母親役でした。けっこうモテる役でびっくりしたもんです。子供心にはタレ目で、そんな美人とは思えなかったもんですから…。

 それが何十年もたって、いきなりジェシカですよ。見覚えのある顔だなって思ってたんですよね。アーカイブですけど。ワタシは何を言ってるんでしょう?マア、いい。要するに今のほうがイイってことなんです。若い時より歳をとってからのほうが魅力が出る人ってけっこういるんですね。

話がだいぶヘンな方向にズレてしまいましたが、ペイトンプレイス物語で、一番ヘンだったのは、続きもののドラマって普通は毎週一回なのに、何故か火曜と木曜の週二回やってたことなんです。ヘンでしょ?

 ヘンといえば、今さらだけど平成の前が昭和だったのに、また令和とかちょっと…。。ヘンじゃない?

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長ければ長いほどい…

 ある日、丼丼が”アガサ・クリスティの長編と短編どっちが好きですか?”なんて聞いてきたのです。

 このところ、”アガサのツッコミドコロ”なるものを書き散らしてましたからね…。

いくらアガサと僕との仲とはいえ、そんなことばかりをほじくっていると、世界中に億単位で存在するアガサのファンから刺客を送り込まれたりしたらエライコッチャ、と心配性の丼丼は気を揉んでいるようなのです。

そこでこんな問いかけをすることで、こちらの注意をツッコミドコロから逸らそうというハラらしいのですね。

 うちの有能にしてヒトタラシの書生くんはいつもなにくれとなく気を配って、かいがいしくフォローをしてくれます。おかげで気分はアガるのですが、どうも何もかも見通されているみたいでオモシロクナイ気がしなくもない。ビミョーってやつです。歳頃でしょうか?歳のせい?と言うと違うイミになってしまうし…

ともかく、売られた問いかけは買わずにおれない性分のじれったさ、とでも申しますか、返事をせずにはおれなくなってしまうもどかしさったら!

 もちろん、長編です!誰がなんと言おうと長編。

 ミステリーとは、じっくり読むものなのです。少なくとも一時間もかからずに読み終わってしまってはいけないのです。

途中、こいつが犯人かもしれない。

ここ、なんか伏線ぽい。

などと想像を巡らせ、コーヒーなんぞ飲みつつ読みふけるのが王道。これがあってこそラストのドンデン返しでしてやられた時の快感が倍増するってもんなのです。従って、長ければ長いほどいい。

ただ、ロシア文学みたいにイタズラに長くても困りますけどね。「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」なんかが引き合いに出されるのって、大抵の場合途中で読むのをやめてしまった”投げ出し自慢”のときが多いみたいですから。

 まあ「源氏物語」にも”須磨がえり”などということばがあるくらいなので、途中でやめてしまうのも読み方の一様式かもしれませんよね。そう思いたいです。

 そうですねー、原稿用紙でいえば五百枚から八百枚くらい。多くて一千枚ぐらいの長さが理想的かなあ。読みごたえもあるし…。

アレ?もしかして「ドミノへ」って、ちょうどこの中に収まってる?

エー!?なんてすごい偶然!まさに”生きてて良かったあ”クラスの偶然だと思いませんか。

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突っ込みどころを無…

 そんなワケで「スタイルズ荘」は、僕にとっての記念碑的存在と言ってもいいかと思います。おかげで突っこみどころには敏感になって、アガサのほかの作品でもけっこう見つけてしまいました。

 念のために申し上げておきますけど、決してアラ探しをしているのではないですよ。普通に読んでて”ウーン、ちょっとねえ……”といった具合に目についてしまうのです。なんと言いますか”ちょっとムリがあるよなあ”、”ムリすぎない?”的な……

作品を読んでいて、同じように感じる読者は案外多いのではないかと思います。おっしゃらないだけで。

 むしろ「アガサ突っこみどころ集」なるものをまとめてもおもしろいのでは…?なんて思っちゃうくらいなのです。こういうツイートではネタバレになってしまいますので書けませんからね。

 でもホント、アガサの作品の”付きもの”と表現したくなるくらいあるんですよね。

 ただ、この頃思うんです。
ホントにアガサ、気づいてなかったのかな?って。
本人に問い糾してみても、ニヤニヤしてるだけで何もこたえてくれません。アガサクラスになると、そういった沈黙はマジ、チョー雄弁になるものでして、アガサに有利に作用してくるのです。

すなわち、
”モチ、すべて承知の上でのことよ。フッフッフ”


となるのですからオソロシイ。

あの文庫本のカバーの裏の写真の顔ですよ。お分かりでしょう。

こうなるともう勝利アリ。悔しいけども格の違いってやつを思い知らされることになるのです。否応なく僕は、アガサが有利になる裏付け推理へと追い立てられてしまいます。

 ここらへん「エッジウェア卿の死」のあのヒロインが鏡の中の自分に見惚れながら――
でしたよね?読んでからだいぶ経つのでそこのあたりの文章はアヤフヤ。ただここはあの作品の中でも一番好きな場面なんです。

ヘイスティングスの胸の中の呟き、
”ただひたすら自分に見惚れながら”だったか、”自分の関心ごとに心を奪われながら、疲れ果てたポワロを次の捜査へと追い立てる彼女の姿云々”……。

というシーン。ほんとに美しい女優の姿がありありと目に浮かんでくる場面でしたよね。このヒロインの描写は見事というほかないです。

とにかく、アガサが僕にかけてきた圧を、このシーンと重ねてもらえたらチョーウレシイ!です。

追い立てられた僕はこう想像せざるをえなくなってしまうわけです。

おもしろさを優先したアガサにとって、突っこみどころなんて屁でもない。それがなんだ!ってなとこなのかもしれない……と。

その証拠に、突っこみどころにまったく気づかず、或るいは気にもせず、”おもしろかった”と心から喜んでる読者がたくさんいるし、前にも書きましたが、僕自身その読み方が一番正しいと思うし。

”ここおかしいじゃん、アガサ”とか言ったって、おもしろさは全々揺るがないんだからこれはもうしょうがないよね。

でも、分かっちゃいるけど言わずにいられない。

オレたち全員、絶対アガサにケムに巻かれてる!

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スタイルズ荘の怪事…

 またまたオダを上げる時間です。

どうして「スタイルズ荘の怪事件」にあんなヒドイ突っこみどころができてしまったのか?自分でミステリーなるものを書いてみて分かりました。てか、想像はしてましたけど。

ヒラメいたアイデアに恋しちゃうからなんです。恋は盲目。そのアイデアが完全無欠にしか見えなくなってしまうのです、ハイ。

 もう有頂天。これだ!ここでこうしてこうすればカンペキ!

 こうしてこうすりゃこうなることと知りつつこうしてこうなった

なんて都都逸じゃあないですけど、誰だってこれには脱帽するであろう。他の追随を許さぬストーリー展開になってしまうぞ。ドウスル!これはごくたまに降りてきてくれる文殊菩薩様のご啓示だ!……等々。

 だけど、やがて気づくんです。この登場人物って、三章目であのことを知った設定にしたんだから、こんなことをするワケないだろぉー!って。ハイ、叫びます。胸の中で。しかも、その登場人物に”こんなこと”をしてもらわなきゃ物語が成立しなくなっている!。

!マークばかりでスイマセンが、その時の実際の作者の心中はマジ修羅場です。そこからはおのれを呪う時間が延々と続きます。でも、やがてそれに疲れる。そしてムックリ起き上がる。これくらいでヘコタレてたまるか!ってな具合です。いえ、具合でした。僕の場合は。

おそらく、ミステリーを書いたことがある人、書こうとしている人ならお分かりいただけることと思います。なんたってミステリーって、辻褄合わせしなきゃなりませんもんね。

ヒラめいては挫折し、また考えるの繰り返し。

話を戻すとワタクシ、「スタイルズ荘」におけるアガサは、それに気づかなかったんじゃないか?とニラんでるワケなのです。気づいてりゃ、突っこみどころを直していたはずでしょ?

「スタイルズ荘」を読んで以来、ずっとそれが胸につかえてたんですよね。だけどつかえてたおかげで、僕は「ドミノへ」を書く上でおかしな点に気づけたと思ってる。破綻した箇所をその都度書き直しました。ホントに何度もあって、大幅に設定を変えたりもして。

根性で、と言いたいけど、コケの一念に近いでしょう。だから「ドミノへ」は、ホントはアガサに一番読んでほしい。

どーよアガサ、突っこみどころを探してみなよ。
(猫山)

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アガサ・クリスティ…

前回、突っこみどころだらけの「スタイルズ荘の怪事件」、よくまあ本になったもんだなどとナマイキにも書きましたが、コレ私のホンネです。勝手ですが、そう感じた人ってけっこういるんじゃないかと思うんですよね。声を上げないだけで。

今回こんなふうに言えて、胸がスッとしました。読んだのは大分前だったので、ずいぶん長いことあの作品に対する不満がくすぶっていたんです。
デヴィッド・スーシェ版で映像化されてたのを見た時も、突っこみどころそのままでいいのか!と思ったワケですよ。まあ、変えちゃうワケにはいかない突っこみどころではありますけど……。

 でも、その映像化された「スタイルズ荘」、すんごくおもしろかった。「ゴルフ場の殺人」も。再放送されると、ほとんど見てました。

 そして、僕としては失敗作じゃないのか?と思ってた作品なのにちゃんと”本”になっていたわけが理解った。

 理由は、一も二もなくおもしろいから。

 小説として、読みものとして、とにかくまずおもしろい!あの作品世界が魅力なんです。そのことこそすべてです。おもしろくなかったら読まない。読めない。どんな斬新なトリックもへったくれもない。おもしろくなきゃつまんない!当たり前ですけど、そうなんです!

ミステリーばかりじゃなく、僕はつまらないと感じたら、どんな本でも途中で読むのをやめてしまいます。そして作者に肚をたてる。おもしろくねーじゃねえか!って。そのあとそんな本を買ってしまった自分にも肚をたてます。つまらない本だってどうして見抜けなかったんだと、ちょっとの間クヨクヨ考える。それって、それ自体ミステリーですよね。作者のミスリードにまんまと引っかかった未熟な読者ってことです。狭量な読者でもあるかも。だからこそ、おもしろいと思った作品に巡りあうと、その作家のほかの作品も読みたくなる。その代表がクリスティ。彼女が多作で良かったです。

 なんのかんのと文句を言いながらも―― そうなんです。気にいった作家はまるで古くからの友だちみたいに思えてきて頭の中で会話しちゃったりするんです。ほぼ一方通行ですけど。”コリャないだろ、アガサ……”とか。自称いっぱしの読者なら分かりますよね。そういうの―― 楽しい時間を持つことができます。

 その時間は作者と共有している時間。一対一の気楽な同等の時間だと思ってます。しかもずっと続く。その作品のことを考えるだけでいい。作者が大昔の人だろうと繋がれるってとこがいい。

 人の好みは様々だから誰もがクリスティを好きになるわけじゃないけど、僕は魅了された。今も醒めてないし、醒めそうにもない。頭の中での会話だって続けてる。アガサと呼んでます。皆さんは?

突っこみどころ云々のことは、また今度ってことで。
(猫山)

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そして誰もいなくな…

 先日、クリスティを初めて読む人に勧めるならどの作品を推しますか?という『朝歩く』さんの呼びかけがありましたよね。

僕はあれに投票はしませんでした。したかったんですけど、器械オンチの僕にとって、ああいうものに参加する、つまり器械を操作するということは至難のワザなんです。すみません。

 ただ、考えてはみたんですよ。僕の推しはあのリストにもあった「アクロイド殺人事件」です。

サントラさんがツイートしておられましたけど、あのトリックはまさに秀逸。タネ明かしをされた時に、一瞬にしてその仕掛けにガテンがいく明快さを持っています。この単純さこそクリスティ本来の持ち味だと思うんですよね。

サントラさんも「ヒントは全て緻密に我々の前に並べられていたのだ!」と悔しがっておられましたが、僕もまったく同じ読後感をもったものでした。

 あの悔しさ、読んだ者じゃなきゃ分からない!

 自分でも曲がりなりにもミステリーなんぞというものを書いてみて初めて、よっぽど自信があったんだろうなあ……とつくづく思いました。ナミの自信じゃないし、勇気もある。あの手のトリックとしては史上初となる作品だとか何かで読みましたが、読者をケムに巻く凄さは圧巻!

「そして誰もいなくなった」が投票の結果一番人気だったようですが、僕なら絶対あれは選ばない。あれこそクリスティの中でも、というより全てのミステリーの中でもブッチギリの最高傑作でミステリー作家を志す人にとっては、ズバリ夢の作品。完璧です。誰だってあんなのを書きたい。だけどクリスティの作品の中では異色。紫式部が『源氏物語』の執筆中に『雲隠れ』の章を思いついたみたいに天才的ではあるけど、異端。

 クリスティの作風は、ごく普通の人々が犯す犯罪。日常の中にできてしまう非日常なのに、あれはブッ飛んでる。密閉空間の中でのいわば密室殺人で、クリスティ本来の持ち味とはちょっとばかり違うと思うんです。

 なので「そして誰もいなくなった」は、クリスティ作品の三冊目から五冊目くらいに読んでほしい。そして「凄すぎる!」と打ちのめされてほしい。

 だから一冊目は「アクロイド」

ポワロも冴えてるし、トリックを知って気持ちよく”クソッたれ!”と叫んで(心の中で)撃沈される快感を得られる。すると次を読まずにおられるか!という気分に陥って、目出たくクリスティ中毒になれるのですよ。

 とはいえ、これほどの名作「アクロイド」にも突っ込みどころがないワケでもない。これなんかむしろ少ない方。人によっては突っ込まないかもしれない。でも、僕は突っ込む。ま、どこが突っ込みどころかは読んでみて判断してください。

 ただ、クリスティ流のミステリーには、突っ込みどころがつきもの?といってもいいかもしれないです。

前回取り上げた「書斎の死体」にもあるし、「ゴルフ場の殺人」や「スタイルズ荘の怪事件」なんか、読んだ時に、”こりゃないだろう!”って感じたくらいです。特に「スタイルズ荘」はヒドイ!突っ込みどころの宝庫。正直、よくこれが本になったな、と思ったものでした。

 でも自分でミステリーを書いてみると、どうしてこんな突っ込みどころができちゃったのか分かった気がします。そしてそれでも本になった理由も。でも疲れてきたんで、その説明は次の機会に回します。

(猫山月彦)

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「どくしょのあき」…

 (ツイッターにて拝見した)積読邸の住人さんに倣ってみたので、コメントまでいただけて嬉しいです。

ど ドミノへ
く クリスマス・プディングの冒険
し 書斎の死体

の 農夫ジャックの幸福
あ アラビアの夜の種族
き 黄色い部屋の謎

 読書というと、やっぱりミステリー中心になってしまいますね。「書斎の死体」は本文はもちろんですが、あとがきも大いに楽しめました。

このタイトルで書きたいと考えていたのになかなかアイデアが浮かんでこず、長い間タイトルだけを書いたページを放置していたという意味あいの記述を読んで、へえーと思いました。

あんな大作家でも、ちゃんと備忘録のようなノートを持っていたんですね。いや、大作家だからこそでしょうか。

 そういえばほかの作品のあと書きでも、どうしてあんなにたくさんの作品を次々と考えつくのか?という読者からの質問を多くもらうけど、ウンウンいいながら頭の中からひねり出すのだ!みたいなことが書いてあったのには笑っちゃいました。

読者はアイデアがなる木でも持っているように思ってるらしい!なんて書いてありました。

 ほかにも、執筆するなら食事がまずくて居心地のわるいホテルでやるべきだ。少しでも早く書きあげて家に帰りたくなるから、なんてのも。

 こんなことを知ると、クリスティの人柄が感じられて身近に感じます。シャイな人だったらしいけど、お茶目なところもずいぶんあったんだろうなって。

 そういえば、クリスティってけっこうグチるのが好きだった人かもしれないと思いませんか。

「ハロウィン・パーティ」や「マギンティ夫人は死んだ」など数編の作品にポワロの相棒として登場しているアリアドニ・オリヴァ夫人は絶対クリスティの分身ですよね。

「パーカー・パイン」シリーズにも登場している売れっ子の女流ミステリー作家という設定ですけど、作中で次の作品のアイデアが浮かばない!とか、年中ボヤきまくってる姿が陽気でかわいい。

僕はオリヴァ夫人の大ファンなんです。

 この花はこの時期には咲かないなどと、作品の中のまちがいをいつも読者から指摘されてるとボヤきつつも、まったくへこたれないのであります。これ実像にかなり近いんじゃないでしょうか。

読むたびに、またオリヴァ夫人の口を借りてクリスティがストレスを発散させてる、と思わずにいられません。

 特に僕が好きなのは「ひらいたトランプ」のオリヴァ夫人です。デヴィッド・スーシェがポワロを演じたテレビシリーズでオリヴァ夫人を演じていたゾーイ・ワナメイカーさんでしたっけ?まさにピッタリでしたね。

(猫山月彦)

私とクリスティ - 猫山月彦のミニエッセイ

猫山からの言付け「…

こんにちは、猫山月彦です。

丼丼のフォロワーのみなさんたくさんツイートしていただきありがとうございます。拙著をお求めくださったみなさん、更にありがとうございます。ご満足いただけたでしょうか?

日本石亀さんがご指摘になったとおりで、僕はアガサ・クリスティが大好きです。トリックももちろんですが、あの物語世界が堪らないんです。時代背景があるかもしれませんが、現代に移してもまったく違和感はないでしょう。

たくさんの登場人物たちが、巧みな配置で活き活きと動きまわって、読んでいると彼らの姿や表情、しぐさやくせまでが目に浮かんでくるんです。顔立ちや服装、好みまでも分かる気がしてきます。

これってすこいことだと思うんです。

そう感じさせるためには、その人たちの人生とか生活、どうしてそんな性格になったのかという経歴まで読者に伝えなければならないから。
言いかえると、人間そのものを描けているかどうかってことになると思うんですよね。

それをクリスティは肩の力が抜けたあの読みやすい文章でサラリとやってのけている。

こと細かに一人一人を描写しているわけではないのに、リアルに生活し、生きている人として感じさせてくる。
だから彼らが織りなす世界も物語と分かっていながら、自然に入っていける。その人がいる場所の空気の冷たさや風さえも感じるような気がしてきちゃうんですよね。

架空のものだから、現実ではないからこそ、物語の中でのリアリティが必要なんだって、僕がクリスティから学んだことの一つです。

したがって、”ドミノへ”もあの世界観になんとか近づけないかと意識して書いてます。
日本石亀さんにそれを感じていただいたことはメッチャ嬉しく思います。

“5匹の子豚”は、僕も好きな作品の一つです。ただ一番好きかと言うと、決めにくいんですよね。

“そして誰もいなくなった”など名作がありすぎて決められないんです。
ただ、ポアロものではないけど’七つの時計’はとりわけ読み終わってから”してやられた感”の強い作品でした。

そして登場人物がオールスターキャストみたいに全員魅力的だと思うのは”茶色の服の男”です。ミステリーというより冒険小説みたいだけどとにかく面白ろかった。アフリカに行った時、僕も木彫りの動物を買いました。

四十九個も買いませんでしたけど、ちゃんとキリンは買ってますよ。