国会図書館に長編ミステリドミノへが実際にあるか見に行ったら本当にあった

ありましたよ!!。確かに猫山の初著書である「ドミノへ」が納められており、この目で見て実際に手に取り実感することができました。

そして知らなかった事実が判明しました。当然のようにこの状態でカウンターにて渡されるものと思ってましたが、違ったんですよ。

国立国会図書館に納本された本って、カバーが外された状態で書庫に収められるんですね。カウンター越しに受け取った時、見慣れた表紙じゃなかったので「え、アレ?ドミノへってこうだったっけ……?」と一瞬戸惑ってしまいました。

何事も経験してみるものですね。

国立国会図書館に納本されることを一つ目標に自費出版される方は、「カバーがない状態でどういう風な体裁になるのかな」という視点を持って装丁されると良いかと思いましたよ。

初の閉架からの貸し出し、そして手にした自著に驚き。

さて、国の定める「納本制度」にのっとって、猫山が書いた長編ミステリ「ドミノへ」も国会図書館に並ぶ、ということは以前、国会図書館に長編ミステリドミノへがあるか見てきたらとんでもないことになっていたに書いたとおりです。

当時は出版前で本そのものが存在しておらず、当然国会図書館にもあるわけもないと分かっていながらも、無い状態を確認しに行ったのですよ。

あれから日は流れ、「そろそろ並んでいることだろう」と、夏の暑さも一段落した9月の終わりに先生と二人連れ立って、国立国会図書館へ行って参りました。

自著(先生にとっての)を確認しに行くこの日はある種の記念日、ということで、先生も私、丼丼もどこかソワソワします。特に先生は、国会図書館は久しぶりとのことでまずは入館カードを作るところからスタート。

この日は平日のお昼前で大きな混雑もなくスムーズに入館登録を済ませました。ちなみに免許証など顔写真付のIDカードがあれば簡単に登録できますよ。

前回はコロナ渦ということもあり、時間帯によっては事前の入館予約などが必要でした。しかしそれも一段落した今、国会図書館東京本館は入場規制がほぼなくなっており平日であれば時間に追われることなく入館できるかと思います。

街の図書館で目にする「開架」と呼ばれる、自由に本を手に取ることができる形ではなく、読みたい本を申請して、カウンター越しに借りる方式を「閉架」というんですね。国立国会図書館は後者の形です。

そしてこの貸し出しに30分程かかるんです。知らなかったので初めてのことに驚きつつも、この待ち時間が一層期待を持たせてくれます。

書庫の検索や貸し出しの申請は全てIDカードと館内にズラッと用意されたパソコン上で行います。基本的なPC操作ができれば難しいことはありませんし、もし分からない場合は係の人もいます。

さて、ついにその時が来ました。

猫山もとても気に入っている綺麗でミステリアス感ただよう北見隆さんの装画が「デデーン!!」とカウンターを彩るのかと期待していたところ、若干の肩透かしをくらったのは冒頭の通りです。

そうは言っても、私も陰ながら携わり、猫山の産みの苦しみを間近で見てきた一人としてはやはり嬉しさで一杯でした。

二人して、

「先生、ありました!確かに国会図書館にありましたよ〜!」
「本当にあったね〜」

なんて会話を(小声で)交わして喜びを分かち合います。本当であればそのシーンを写真に収めたいところですが、館内での写真撮影は当然禁止。

せっかくだから、と手にした「ドミノへ」に目を通しましたが、場所柄なのか、興奮からなのか、なんだか全く違う小説を手にしているような感覚でした。

読むところが違うと目新しく映るものなんですね。

確かに国会図書館に収められていたドミノへ。意外に地味だった著者猫山の一言

「ホッとした」

これが猫山の第一声でした。

”納本制度”、”日本で唯一の”、”未来永劫”、”半永久的”、という仰々しいワードで飾られる国会図書館のカウンターから自著が出てきた時の思いとしては、少々地味だな……と思ったのが正直なところです。

もっと、こう

「嬉しい!私すごい!感無量!」

喜びの感情が爆発する言葉が猫山の口から発せられるのかな、と想像していました。

後日、その時の心境を改めて聞いたところ

「これで自分が死んでも、生きた証しや足跡のようなものが残ることを確認できた」
「ここに来れば、誰でも私の著書を手にできる、そういった安心感」

というのようなことを言っていました。

「ホッとした」という一言にそんな気持ちが込められていたんです。

そして猫山の活動は一貫しているな、と改めて思いました。

原稿を書き、実際に本となることをゴールとするイメージが強い自費出版ですが、猫山はその後もひたすら活動を続けています。ツイッターを初め、ホームページや、山手線歩きなど。

自著を一冊でも多く世に届け、足跡を残したいという思いが一続きの原動力である、と重ねて実感しつつも、書生として何ができるか気が引き締まります。

通過点を一つ、この目で確認できた我々の活動はまだまだ続きますよ。