みる景色がない分、かえって空想がはかどる(中)

陽はサンサンと照り、しかしキリッと冷たい風が気持ちよくて退屈に思うことはなかった。

この宿場町の建物のほとんどは昭和のころに建てられた風貌で、古さはあるが現代のものである。
往時の様子を残しているのは道そのものといくつかの建物だけで、目玉の何かがあるわけではない。

しかし街道の名を彫った灯籠や、観光案内板、屋号、火の用心を謳った玄関先のお札。

役割を終えてから何百年もたつが生きている宿場町だと思った。
来た人を出迎えそして見送る姿、そして街道のそばに暮らしに。

先程のおじさんの、あきらかに住民でない僕に対する「ああ、またか」と驚かない様子。
そして道案内には短くて、しかし歩き旅には一番ありがたい一言がよりそう思わせる。

ここはハリボテの観光地ではないのだ、とひらめいた時、江戸時代の旅人と歩いている気分になった。

勝手に顔がにやけてくる。

これが私が街道歩きが好きな理由だ。ひとりでありながら、この瞬間だけはグループ旅行。
ポケ〜っと口を半開きで空想しても自由である。

さて、宿場町が終わるとアスファルトの国道である。

都会のように人がいるわけではない集落で、道に出ればひとけも名残もさらにない。

次の宿場町まで約10キロ。

地元の人は車移動が当たり前で、大型トラックが頻繁に行き交うだけである。

人がいない前提でこちらは歩いているから、時折人影をみるとドキッとする。

何より鼻歌が恥ずかしい。
鼻歌ならまだしも、声を出してうたっている時もあるがどっちにしても恥ずかしい瞬間は急に訪れる。

彼らは工事現場の交通誘導員か、並行して走る線路の保守係だ。

歩道は途切れ途切れで、歩く人をあきらかに想定しておらずでこぼこのアスファルトである。

「怪しくないです、旅の途中ですから」という意味で会釈ぐらいはするが、取り立ててあいさつをしたりましてや会話などしない。

そうは言っても限られた人との出会いは妄想チャンス。

足元も格好もこちらはアウトドア風であちらは作業服。

どちらも野外活動中という共通項がひねり出る。

一人旅が生む勝手な仲間意識が、速度超過ですれ違うトラックの怖さを忘れさせてくれる。

今日は平日、向こうは仕事でこちらはレジャー中という現実が、空想を瞬く間に終わらせる。

一度だけ「お、人か」という反応をされることがあった。

「トラック通るから気をつけて、いってらっしゃい」

街道歩きを思い出させてくれる一言に、江戸時代の旅人もそうやって歩いたのかなとまた想像する。